皆さんお久しぶりです!
ブログをずっと放置していて、申し訳ないです!
何か書こう書こうとしておきながら、半年以上の月日が流れてしまいました(苦笑)
さて前回からですが、僕は無事に就職活動を終え、今は最後の学生生活を満喫しております。
そして、先日ヴィパッサナー瞑想という修行をしてきました。
今回はその体験について書いていきたいと思います。
引用などはあまり用いず、自分の体験と言葉でできる限り書いていこうと思っているので、実際に教えと少し違う点があるかもしれません。
詳しくは、日本ヴィパッサナー教会、または指導者ゴエンカ師の本を参考にして下さい。
日本ヴィパッサナー教会
http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12
指導者ゴエンカ師の本(ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 )
ヴィパッサナー瞑想
ヴィパッサナー瞑想とは、「約2500年前にゴーダマ・ブッダが悟りを開いた際に用いた瞑想法であり、自分の感覚を客観的に観察し、心を浄化して悟りを開くものです。」
さて、これだけを聞くと何のことだか分かりませんが、とりあえず仏教の開祖ブッダが悟りに用いた瞑想法であり、最終的に心が浄化されるのだと理解すれば、大丈夫です。
昨年バックパッカーでゴーダマ・ブッダが悟りを開いたインドのブッダガヤを訪れた時にこの瞑想を知りました。
その時やってみたかったのですが、10日間の時間を取ることができませんでした。
しかし、日本でもあるということを教えてもらって、帰国したら是非やろうと思っていました。
そして、就職活動も終わったので、京都で今回やってきました!
このヴィパッサナー瞑想ですが、
期間:合計12日間(本格的に行うのは10日間)
場所:人里離れた瞑想センター(世界各地にある)
費用:寄付(好きなだけ支払える)
戒律・ルール:瞑想期間中は様々な戒律やルールを守らないといけない。以下がその戒律とルール。
戒律(⑥~⑧は2回目以上の参加者は守らないといけない)
① 生き物を殺さない。
② 盗みを働かない。
③ 一切の性行為を行わない。
④ 嘘をつかない。
⑤ 酒・麻薬の類を摂らない。
⑥ 正午以降、食事を摂らない。
⑦ 踊りや歌などの娯楽を避け、装身具などで身を飾らない。
⑧ ぜいたくな高い寝台で眠らない。
ルール
戒律があり、瞑想を最大限の効果を引き出すために様々なルールができます。
l 誰とも話してはいけない。(先生への質問は可能)
l ジェスチャーをとってはいけない。
l メモを取ってはいけない。
l 本や雑誌などの文字を読んではいけない。(瞑想中の連絡事項は例外)
l 一日2食が基本。ただし、初めての生徒は夕方に果物を食べられる。
l 体を過度に動かさない。ウォーキングは可能。
などなど、10日間守り通すにはかなり過酷なルールが色々あります。
一日のスケジュール
l 午前4時:起床
l 午前4時30分~6時30分:ホールまたは自分の部屋で瞑想
l 午前6時30分~8時:朝食と休憩
l 午前8時~9時:ホールにてグループ瞑想
l 午前9時~11時:ホールまたは自分の部屋で瞑想
l 午前11時~12時*:昼食
l 午後12時~1時:休憩および指導者への質問
l 午後1時~2時30分:ホールまたは自分の部屋で瞑想
l 午後2時30分~3時30分:ホールにてグループ瞑想
l 午後3時30分~5時:ホールまたは自分の部屋で瞑想
l 午後5時~6時:ティータイム
l 午後6時~7時:ホールにてグループ瞑想
l 午後7時~8時15分:講話
l 午後8時15分~9時:ホールにてグループ瞑想
l 午後9時~9時30分:ホールにて質問
l 午後9時30分:就寝
基本的に1日中瞑想をしています(笑)
夜には毎回1時間半ほど瞑想を理解するための仏教を内容とした講和があります。
正直瞑想だけをするのはかなりつらかったので、夜の講和はとても面白かったです。
瞑想と講和で学んだこと
さて、詳しい瞑想法などは実際に体験しないと正直分からないので、この10日間で得たことについてまとめたいと思います。
これは瞑想の時間、そして夜の講和の時間の両方を通して学んだことです。
正直この二つをしていないと僕が学んだことも伝わりにくいとは思いますが、このヴィパッサナー瞑想をするとこんなことを学ぶのか、という感じで気軽に読んで頂きたいと思います。
① 平静な心
ヴィパッサナー瞑想は自分の感覚を客観的に見つめる手法です。
暖かい、寒い、痛い、かゆい、チクチクする、しびれる、などの感覚を反応せずに客観的に反応があったと受け止めます。
人は感覚を感じた時、その感覚に対して
① 暖かくて心地が良いからもっとこの感覚が続いて欲しいと感じる渇望
② 痛くて不快やからこの感覚が早くどっかにいって欲しいと感じる嫌悪
などと感覚を渇望または嫌悪として感じます。
その渇望や嫌悪の感覚に反応せずに、ただ反応があったと客観的に事実だけを観察します。
そうすることで自分自身を客観的に見ていくことができます。
例えば、人に対して怒った時です。
怒った時、実は体のどこかに暑い、震え、しびれ、などの感覚が現れます。
瞑想後は怒ったときでもその感覚をとらえることができ、客観的に自分が怒っていることを認識できます。
そうすることによって、自分を客観的にとらえ、平静な心を保つことができます。
瞑想後はこの感覚にかなり敏感になり、楽しい時も、いらだった時も、不安な時も自分の感覚をとらえ、心を平静に保てるようになりました。
② 心の浄化
冒頭でも言いましたが、この瞑想は心を浄化するための瞑想です。
人は感覚を感じた際、渇望や嫌悪の感覚を感じ、その反応を心の奥底にアカのようにためていきます。
それがたまることによって、心が濁っていくのです。
ヴィパッサナー瞑想では自分の感覚を客観的に観察することで、その溜まったアカを取り除き、心を浄化させていきます。
正直10日間の瞑想中に心が浄化されたかどうかは、全然分かりませんでした。
しかし、家に帰宅してから自分の心が浄化されていることに気付きました。
それは家族との会話です。
僕は家族との仲が非常に悪いです。
険悪というより、僕が話をしたり干渉したりあまりしないようにしていて、家族に全く関心を持っていません。
しかし、帰宅当日にたまたま家族全員で夕食を取りにいくことになりました。
いつもなら非常にぎこちない会話が続くのですが、その日は会話がとてもスムーズでした。
数年ぶりに家族の様な会話をしました。
正直僕は外では素直でかなりの好青年ですが、家では全く素直ではなく、非好青年です。
ですが、瞑想が終わった後は心が非常に穏やかで、日頃は全く素直になれない家族にも素直になりました。
これも心が浄化された効果かと感じました。
ですが、瞑想が終わってから全く瞑想をしてないと、また家族との会話がぎこちなくなってきました(笑)
瞑想は継続しないと効果は発揮しないみたいです。
③ 集中力
人の心はとてもお喋りです。
ちょっとしたことで現在目の前にあることを見ずに、過去にあったことの回想や、未来へ予定などを立てようとします。
過去にあんなこがあって楽しかったなー。
この間はこんな風に失敗したから、今度はこのようにしよう。
などと過去と未来を行き来します。
瞑想中も瞑想自体に集中することができずに、過去と未来を行き来することが多かったです。
ですが、瞑想を繰り返すうちに目の前の瞑想にも集中することができるようになりました。
④ 忍耐力
10日間毎日瞑想だけに日々が続きます。
10日間ずっと瞑想を続けるだけでもしんどいです。
10日間本当に何度も逃走を考えました。
心はお喋りなので、瞑想に集中できない。
ずっと足を組みながら座りっぱなしなので、膝と足首に激痛が走る。
そのような中でもずっと瞑想に集中し続ける。
正直、瞑想時間の4分の1が瞑想できて、4分の3は妄想していましたが、最後まで逃げ出すことなく瞑想を終えることができました。
最後までやり続けることで忍耐力が付いたと思います。
⑤ 体験=潜在的な理解
ヴィパッサナーでは3種類の知恵について学びました。
① 人から聞いて得た知恵(顕在的)
② 知性と分析に基づく理解(顕在的)
③ 直接的な自分の経験に基づく知恵(潜在的)
はじめの2つは顕在的、つまり頭だけで理解したものであり、潜在的に自分の中で理解したものではないため、自分の行動や生活に反映されにくい。
一方で最後の体験に基づく理解は、潜在的に自分の中で理解したものであり、本当の知恵となって自分の行動や生活に反映されていく。
今回瞑想に参加して、ヴィパッサナー瞑想がどのようなものであるかが、潜在的に理解できました。
この経験から過去のことを振り返っても、やっぱし人の話を聞いたり、本を読んだりした時よりも、自分の体験で得たものが本当に自分の自身、そして人生を変えてきたことに気付きました。
過去を振り合えると、体験するのが恐くて行動できなかったことが多いけど、やっぱし行動して体験し、潜在的に理解していくことが大切であると本当に感じた。
これからは恐れずに様々な体験をする決意ができました。
⑥ 諸行無常
全てのものは生まれ移り変わり、消えていく。
この世には永遠のものなんてない。
体に出てきた感覚も必ず消えていく。
それを体験していくことで、世の中の全てが生まれ消えていくものだと感じていく。
そして、自分が死に向かっていくと実感する。
この全ての時間は貴重であり、無駄にする時間なんて一秒もない。
死ぬまでの時間を本当に大切にしよう。
そう瞑想の中で感じ取ることができました。
⑦ 大切なのは現在
大切なのは過去や未来ではなく、今目の前にある現在であると感じられました。
いくら過去や未来を考えたところで、変化は訪れない。
今目の前にある現在を客観的に見続けることで、未来を変えることができる。
瞑想中に妄想で過去や未来にとらわれることは多かったですが、最終的には現在を見つめることで今を変え続けるしかないのだ。
ずっと瞑想してもなかなか感じ取れない感覚。
感じ取れても変化を感じ取れない感覚。
変化を感じても、どう影響しているのか分からない。
でも、これら目の前のものを見ていくしかないんだ。
瞑想を通して、現在を見つめることの大切さに気付きました。
⑧ 自己愛
この世で唯一愛しているものは、家族でも恋人でも友人でも人類でもない。
それはただ自分自身、自分の夢だけである。
人が唯一愛しているのは自分自身であるというエゴ。
それを本当に感じました。
元々は夜の講和の際にブッダがおっしゃっていたことだと知ったのですけど、その時とても納得しました。
瞑想に集中できずに妄想していた際、考えていたことはずっと自分自身のことや自分の夢だけ。
他人のことは一切考えずにただ自分のことだけを考えていました。
そのため、自分が愛するのは自分自身や自分の夢だけという言葉を素直に受け止めることができました。
しかし、自分自身や自分の夢だけを愛している自分を認めることによって、他人も愛することができる、と確かブッダがおっしゃっていました。
この部分はきちんと覚えていないのですが、自分を愛し、そして他人を愛そうと思うことができました。
⑨ 自分は仏教徒
瞑想と講和と通して、やっぱし自分は仏教徒であると再確認しました。
友人にキリスト教徒やイスラム教徒の人がいたり、両親が新興宗教に入っていたりと自分の信じるものは何だろうと悩んだこともありますが、僕が信じるのは日蓮宗や真言宗など宗派などは関係なく、ブッダがおっしゃったことである。
神とは、真理であり、愛であり、慈悲である。
大切なのは、この世に神様がいることを信じることではなく、この世で愛を実践すること。
まだまだ仏教の勉強はしている途中やけれども、これから少しずつでも勉強していこうと思います。
妄想で学んだこと
10日間の間は瞑想に集中ができずに妄想して考えていた時間も長かったです。
その間様々なことを考えましたが、自分の人生についてひたすら考えていました。
基本的に瞑想に集中できずに妄想することは良くないのですが、その妄想で気づいたことについても書いていきたいと思います。
① 自分のやりたいことはして、後悔しない人生を送る
妄想中にひたすら自分の人生に後悔をしていました。
どのような後悔かというと、今までやりたいことがあったけれどもやってこなかった後悔です。
今までやりたいことは色々あったけど、お金がない、時間がない、恐い、周りの目が気になる、などと言い訳をしてやってこなかったことが本当に多くありました。
妄想しながら、メチャクチャ後悔していました。
その時、ふと自分がおじいちゃんになった時にこんな感じに人生を後悔するのだとリアルに想像することができました。
老人になった人に人生で後悔した一番後悔したことを何ですかと聞くと、
「チャレンジしなかったこと」
と一番答えるみたいです。
ずっと永遠のように感じる瞑想の時間を過ごした時にそれを想像できるようになりました。
10日間で本当にやりたいことはやり、後悔しない人生を送ろうと決意しました。
② 選択肢の多さで人生が変わる
過去と現在を比べると知識の量や視野の広さが違います。
そのため、現在から過去を考えると、「あの時このような選択をしたら、今はこんな人生歩んでいるのになぁ」と思うことが非常に多かったです。
そんな調子で違う選択をしたバージョンの人生をずっと妄想していました。
その時気づいたのが、選択肢を多く知っていることで人生が大きく変わるということです。
当たり前と言ったら当たり前ですが、選択肢の少なささが自分の人生の幅を狭めているのです。
今だったらこうするとかでは遅いんですよね。
日頃から今自分にはどのような選択肢が目の前にあるのかを模索し続けないとまた後で後悔する。
そう瞑想中に痛感しました。
終わりに
ざっと僕のメモのように僕が瞑想で学んだことを書いていきました。
ですが、僕が何を言っているのか分からないですよね(笑)
僕の説明が下手なせいもありますが、やっぱし体験してない理由の方が強いと思います。
正直、ヴィパッサナー瞑想に参加する前にいくらその説明をされても僕は分からなかったと思います。
体験ことが本当の理解、そして知恵へと繫がります。
こんな僕のブログからでもヴィパッサナー瞑想に参加してくれる人が増えれば嬉しく思います。
それではまた!